~終戦・被爆80年~ 2025連合岐阜 平和の集いinぎふを開催 | 連合岐阜

連合岐阜(日本労働組合総連合会岐阜県連合会)は、岐阜県内で働く勤労者の仲間が結集する労働組合です。

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8月4日(月)連合岐阜主催の「2025連合岐阜 平和の集いinぎふ」がメディアコスモスみんなのホールで開催されました。

連合岐阜が独自で取り組む平和活動で、毎年県下各地を持ち回りで開催しています。

今年は、終戦・被爆80年の節目の年に当たり、平和パネル展に合わせて開催しました。

今年の平和の集いでは、広島の被爆家族伝承者として活動されている谷口敏文(たにぐち としふみ)氏を講師にお招きし、ご自身の母親(久子さん)の被爆体験のお話をされました。

(被爆の実相を語る谷口敏文氏)
谷口氏は、ご両親が被爆者ですが、子供の頃にはあまり戦争のことや被爆のことは話さなかったし聞かなかったそうです。
終戦から80年近く過ぎ、原爆の被爆体験を証言される方が減っていることを知り母から話を聞き活動することにしたそうです。
お母さんから聞いた話を基に、谷口氏の感想等も含め話をされました。

当日の朝方、空襲警報が解除になり人々が活動を始めた。上空でものすごい閃光と地上では爆風、熱光線が襲った。母は学校の講堂で被災し気を失った。どれくらいの時間が経ったのか分からない。僅かな隙間があり助かった。辺りは真暗だった。近くには性別も分からない焼け焦げた人や皮膚が爛れて歩く人がいたりした。同じく被爆した少女がいたので、ふたりで野宿をしたが心強かった。自宅は跡形もなく誰もいなかった。親戚のいる町へ向かう途中「久子ちゃん」という声を聞いたような気がしたが怖くて確認できなかった。叔母さんと生活をするようになったが、食べ物や着るものは少なく、学校では、「病気が移る」「近くによるな」など言われたり、被爆者はいじめられたり、仲間外れにされたりした。差別がひどかったこどもの頃から辛い生活を送っていた。大人なっても結婚が出来ないといけないので被爆のことは隠すようになった。被爆者の方を紹介されお互いに理解して結婚したが、生まれてくる子供たちに被爆の影響はないか、自分の子供のような思いをさせたくはないと心配だったそうだ。この体験、被爆の状況を次世代に語り繋げていかなければいけない。二度と戦争は行ってはならない。と母は思うようになり話をしている。私も母から聞いた被爆体験のことは、語り継いでいかなければならないと思い活動を続けていく。戦争や原爆について考えていただける機会していただければ有難いと述べられた。

終戦・被爆80年。被爆体験を伝承することが難しくなっています。今日拝聴した話を、私たちが家族をはじめ周りの方に伝えていくことが被爆体験を語り継ぐ活動になります。連合岐阜は平和活動に取組み、引続き被爆伝承講話や被爆家族伝承講話を開催していきます。