2024平和の集いinひだを開催~被爆の実相を語り継ぐ | 連合岐阜

連合岐阜(日本労働組合総連合会岐阜県連合会)は、岐阜県内で働く勤労者の仲間が結集する労働組合です。

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8月2日(金)、連合岐阜が主催する「2024平和の集いinひだ」が高山市民文化会館で開催されました。

連合岐阜が独自に取り組む平和活動であり、毎年県下各地を持ち回りで開催しています。

今回の平和の集いでは、広島の被爆体験伝承者として活動されている渡部公友(わたなべ こうゆう)氏を講師にお招きし、被爆体験や平和への想いとあわせて、被爆の実相について講演をいただきました。

被爆の実相を語り継ぐ渡部公友氏

 

渡部氏は、92歳になられる新井俊一郎氏から被爆体験を受け継ぎ伝承をされておられ、この日は新井さんが広島で実際に起こった出来事を伝承者として克明に伝えられました。

新井さんは広島大学付属中学在学中に先生の計らいで広島市中心部を離れ、疎開し農村動員挺身隊として農作業に従事。その農作業の報告書を中学に届けるため、8月6日、広島へ戻るために向かった駅で、広島中心部からものすごい閃光を目にしました。何が起こったのかわからないまま、汽車に乗車しましたが少し進んだ駅でおろされてしまったため、その後は徒歩で広島市街に向かいました。そんな中、こちらに向かって真っ赤に染まった人や焼けただれた皮膚をぶら下げて歩く多くの人たちとすれ違い、性別もわからない状態で道に倒れている姿を目にして「何かとんでもないことが起きている」と思いながらも、「この報告書を届ければ、家族に会える」との一心で広島市街に足を進め続けました。しかし、到着した時に見た広島は爆風ですべてが吹き飛び恐しい惨状であったそうです。自宅へ向かうと父母は生きてはいたもののひどいケガを負い被爆しました。原爆は、摂氏100万度にもなる熱線や爆風、火災、そして放射線の被害を及ぼし、人体へも影響を与えました。原爆は長時間にわたって残留放射線を地上に残したため、あとから広島の地に入った新井さんもがんを発病し(入市被爆)、後遺症と闘い続けました。また、原爆は人や物に大きな被害を与えただけではなく、人々の社会生活そのものを破壊し、差別なども起こり生き残った人々の生活に、言葉ではとても表現できない数多くの困難をもたらしました。

新井さんは、70歳まで原爆のことを一切語らなかったそうですが、孫から「戦争時の話を聞かせてほしい」といわれ語り始めたとのことです。

広島、長崎に原爆が投下されてから今年で79年。高齢のため、自ら被爆体験を伝承することが困難になり、現在はその被爆者の記憶を受け継ぐ伝承者により語り継がれています。直接被爆体験を語る方もいずれはいなくなります。伝承講話を拝聴することで、私たちがこの実相を後世に伝えていくことが重要であると、身をもって知る機会となりました。